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今回で温暖化譚終了です。
―へー。
だから温暖化の是非を考えるとどんどん沼にはまっていくんだよね。しかも本当に例え確実な証拠が出たとしても、また懐疑論者はまた穴を見つけて言うだろうし、、つまりこれ、温暖化の是非というものは考えても決着がしばらくつかなそうじゃん?温暖化という主語がでかすぎて、いろいろな解釈がうまれてしまうわけで。温暖化について語ることは結構難しいし、勉強しなきゃいけないし、大変なんすよね。
―確かに温暖化って何か難しそうです。
今まで環境保護活動って政府とか非営利団体が行っていたイメージ。それが最近<環境×ビジネス>になってきたせいでさらに問題がややこしくなって。SDGsウォッシュとも言われているが、本当に環境に良いことって何だろうか、という疑問が置き去りにされたまま、なんか環境に良さそうだから、みたいなただのイメージ戦略の一つになってしまっている部分もあるよね。環境問題は解決に向かうほどビジネスが減るので、課題は課題のままで残った方が都合が良くなる感じで。脱エンジンは一概に脱炭素を意味するものでもなく、電気自動車は完全に環境に良いわけではなさそう。
―環境に良いってだけで購買欲くすぐられますもんね。
そう、例えばパッケージに環境に良いみたいな文言が書いていれば、少し気になる人もいるだろうし、環境に良い商品提供します!って一番良いセールストークになってしまうんだよね。みんな環境好きだから。一方で逆説的に環境に良いというだけで胡散臭くも聞こえてしまう状況にもなりつつある。路頭に迷ってしまう。
さらに結構厄介なのが地球温暖化についての<共通だが差異のある責任>という原則があるんですよね。温暖化の主因は先進国なので、先進国が責任を多く負担すべき、ということからなんだけど。だからこの前のCOP26で温室効果ガス排出量世界1位の中国が会議に参加しないのは自分達が“途上国”であるとの認識だからなんだよね。世界3位のインドも2070年までに排出ゼロを目指す、と。すげー先じゃんって感じ。動画で”空中分解”と表現しているけど、確かにいったいどこに落としどころがあるか想像できないところまで来てしまっている感はある。
―結局自分達にできることはあるんですか?
そこだよね。昔からエアコンの温度を28℃、のような話はあるし、レジ袋の削減は正直何も環境の役に立っていない気もするし。いや、レジ袋の削減はプラスチックの使用量を減らすとは思うが、プラスチックの使用を減らしたところでそれが直接温暖化防止のために役に立っているか、という所は少し一考する必要があって。。。それ以上自分達ができることって、、そもそも温暖化が起こっているのかもわからないのに、、でもさ、地球温暖化が起こっていないからといって、化石燃料をバンバン使い続けようという言説にはあまり賛同できないし。なんとなくね。この体感として何か地球に異変が起こっている感覚は大事にした方が良い気もしていて。おそらくグレタ氏やFFFの活動も、感覚としてやばいって感情から来ていると思うんですよ。若い世代の人は社会に対する不信感も結構ある中で、環境という大きい問題をてこにして社会の生きづらさを変えたい、そう思っている人たちが多いということだよね。COP26でもアマゾン先住民の女性が環境保護を訴えた際、多くの殺害予告が来たと。なんで環境保護を訴えたら殺害予告が来るんだろうと思ってしまうんだけど、まあつまりそういうことなんだろうね。
―なんでここまで生きづらいんですかね(笑)。
だから例え環境問題にあまり詳しくなくとも、何か生きづらさを持っている人はそういう活動に参加するというのもいいと思うし。何にも考えていなくても、とりあえずフォローはしてみる。そう考えると、環境問題に対して自分たちができることといえば、エアコンの温度設定を守ったり、レジ袋を断ったりすることではなくて、環境問題について考えること、何か発言してみること、それが間違っているかどうかはあまり問題ではなくて、何か投げてみること自体が大事なんじゃないかな。
この前、第12回「KYOTO 地球環境の殿堂 」シンポジウム見たんだけど、そのシンポジウムは環境保護活動に多大なる貢献をされた方を毎年表彰して、シンポジウムを行っている団体で。自分も前京都に住んでいたからリアルに見学しにあったこともあって。そこでは京都府内の高校生とのディスカッションもやっていて、こんなに地球温暖化が起こっているのに、対策を行っているのか、日本含め温暖化対策おこなっているのでしょうか。なぜ政府は環境対策を進めないのでしょうか。といった話。高校生がこういった意見も持つということじたいすごいなあと思うんだが、むしろ高校生ですらこういった危機感が生まれていて、しかも高校生だから何かやりたくても何もできないわけだよね。選挙権もないし、社会を変えることはできない。その歯がゆさといったら、半端ないよね。未来に希望がないこと。正直えぐいなあと思う。こういうのを見ると何かしなければいけないと気持ちは高ぶる一方で、したら何したらいいんですかね、自分ですらできることはそんなにないかもしれない(笑)。自分は政治家でもないし、社長でもないし。ただのニートだから。
―なるほどー、自分が何か行動を起こすとなると途端に委縮しちゃうんですよね。
もうそれあれだな、友達にボタン押してもらえ(笑)。
<次回からは食について考えていく予定です>
世界は”情報時代”から”偽情報時代”になりつつあると。何が真実なのか。それはクリックの尺度によって決まる。”イイね”がより多くついたものが”真実”となる。もはや私たちは何が”真実”であるかなんてあまり重要ではなく、私たちの考えと一致するものが”信じるべきもの/真実”となる。さまざまなインターネットメディアが乱立し、情報の権威性なんてものは超低空飛行だ。
SNSの登場によって一人ひとりの意見がどんどんマスに拡散されていく状況になっている。SNSのことばはいったい誰に向けて言っているのか。正直SNSの内容の大半はマスに向けて書いているというよりかは、誰か知人に届けばいい、そう思っていそう。つまり、何かを投稿する際は自分の中の知人を思い浮かべて、その人たちに届いてほしいけどラインやメールする程のことではない。そういった内容が投稿されるような気がします。それらは往々にして知人にしか理解できない文脈であったり、意見だったりするので、マスに拡散された途端に違和感を持つ人が発生するのはあたりまえのように思います。私たちは大勢の人と理解を深めれるような、交流できるような能力はなく、せいぜい仲良くできるのは数人の友人であるだろうと。
ドキュメンタリーの中で研究者曰く、このような状態がこのまま20年続けば「故意的な無知によって文明は滅びるよ」と。歴史が後ずさりしていると。確かに後ずさりはしていそうな感覚ではある。世の中を決めるのは”感情”であるって感じ。
①おすすめ表示は絶対にクリックしない
②検索履歴を削除、予測変換の削除
③SNSの通知をオフ、やめること
法律により規制は絶対必要であり、データ量に応じて課税するような仕組みなどを講じないといけない。と。なるほど
気候変動問題に声を上げることは、総じて現産業社会に批判的で、
・石炭火力発電の完全撤廃
・脱原発/脱炭素
こういったことから安易に推測すると、彼らは現社会を否定していて、昔のような農耕社会に戻ることを求めているのか、といった評価をしがちではある。私たちは、石炭火力発電をあたりまえに生活してきたし、発電所のない歴史は想定できない。発電所がなければ、電気がなくなり、文字通り人間として後ずさりしてしまうから。
テクノロジーと生命は基本的な要素を共有している。生命が自己を保存し、拡大し、成長させる衝動を持っているのと同様に、テクノロジーも、それ自体が新たなテクノロジーを生み出す源泉となっており、自らを拡大し、加速させる。筆者はこれらをテクニウムと呼ぶ。テクノロジーは使われることで再創造される。
テクニウムは生命の知性の特性を拡張し、そうすることで、知性の基本的な善を拡張する。
私たちは発電所のない、電気のない生活は想定できない。ただテクノロジーは常に加速し、拡大する。そしてテクノロジーは人間のアイデアを基本とし、それらは人間が作り出す。私たちは想定できないものは作り出せないような気もするが、想定できるとすれば、その向きにテクノロジーを生み出すことも可能である。つまり、私たちが想定できる/したい未来は実現不可能なものではなく、その未来は、私たちが常にそれらを思い続けることにより、実現可能の道はひらいてくる。これは歴史からみると本当にそうなのだ。
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<あとがき>
もうすぐ12月です。師走です。2021年も残り1カ月です。来たる2022年、という響きに近未来を覚えるのは僕だけでしょうか。高校の頃から考えると2022年なんて自分が何をしているのか見当つかなかったし、相当な未来だろうなと感じていました。ただ実際に2021年が終わろうとしているいま思うことは、高校生の頃に思い描いて未来よりかは全然未来ではなく、空飛ぶクルマは飛び回っていないし、瞬間移動できないし。全然現実でした。思っている以上に思い描いている未来はやってきませんし、時間だけが超高速で過ぎていきます 。というか、もしや人生は本当に数秒で終わるかもしれないという感覚を持ち始めてきました。おそらく思っている以上に人生は秒で終わりそうです。やりたいことを我慢している暇なんてありません。やりたいことは今すぐにやった方がよさそうです。もじどおり”RIGHT NOW”です。