温暖化についてぐるぐる考えていきます。上・中・下の三部構成の(毎週金曜)予定です。
わかった。わかった。温暖化のことはよくわかった。でさ、つまり温暖化ってなんの話してんの?
―それ全然わかってないやつじゃん。
い、いや、そんなことないってば。いや、自分は温暖化って詳しくはわからないけど、体感として”なんだか暑くなっていそう”な気がしているなあくらいの感覚ではあって、だからまあ地球も温暖化しているんだろうと漠然と思っていたし、いわゆる肯定論者の話をよく聞くからさ。IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)とか、FFF(未来のための金曜日)とか。自分達は今”人新世(アントロポセン)“という時代に生きている、みたいな話しとかね。斎藤幸平氏とかね。人類が生きている今の時代は地質的に明らかに以前とは異なる地質時代に突入している、そういうわけで、私たちは人新世を生きており、それが未来永劫にわたって、その時代区分として地質に刻み込まれることになるだろうと。
ー響きはかっこいいですけど、なんだかよくわかりません。
自分のざっくりとしてイメージでは、地質調査するときにボーリング調査ってするじゃん。例えば未来の人類がボーリング調査のようなものをした場合に、ここが完新世、更新世、んで一番最近のここからが”人新世”だ!という感じかな。それくらい人類が地球や生態系に与えた影響が半端ない。私たちは地球に”どでかい足あと”を刻み続けている、という感じかな。
―どでかい足あと。
そうそう、でまあその温暖化の解決策としてよく言われているのが、まずサスティナブルが思いつく、持続可能性ね、今までの産業はものを消費することで、もっといえば捨てることで成長してきたからさ。持続可能性、持続的に使用する、繰り返し使用する、捨てない、というのは今までのモデルとは全く違うよね。
―はいはい。
SDGsも<持続可能な社会>目指していると思うが、一方でSGDsを批判する動きもあって、それは今のプロダクトドリブンな経済ではどんなにサスティナブルな政策をしたところで、全然意味なくないか、ってことだよね。だからSDGS懐疑論者はそもそもの産業のあり方を考えなければいけないということを言っていると思うんすよね、捨てる経済から脱却しないと。パタゴニアとか?Bcorpっていうサスティナブルな認証もあったりして。
―会社でも最近聞くようになりました。
サプライチェーンが長ければ長いほど、そういう大きな転換って難しいよね、町工場の社員が頑張ったところで川上が変わらないことにはむずいよね。変わりたいけど、この選択肢しかないんだよなー、どうすればいいのかわからないんだろうなーと
温暖化のために自分たちは何をしたらいいのかっていうのは、よく省エネの観点では言われているけど、エアコンの温度とか。まだまだ他人事感が強い気がしている。
ー僕レジ袋断ってます!
(次回へ続く)
📗<みんな政治でバカになる> 綿野恵太著
世の中はバイアス(思い込み)でできている。私が見ている世界は私が見たい世界しか見えないし、あなたの見ている世界もあなたが見たい世界しか見えない。私たちは物物を感情によって判断する。私たちは感覚で良さそうな方を選ぶ。感覚で政治家を選ぶ。私たちは思っている以上にバカなのだ。世界は公正になんかできていないし、他者の苦しみに鈍感である。
え、そんなことはない?いや、そんなことあるのだ。
<追記>
自分ってノリ悪くなったのか?いや、したら昔はノリ良くておもしろかったかと言われたら多分そんなことはないのだろうけど。最近思うのはこうやって何か書いたりするのは自分が好きでやっていることだし、身の回りのことを考えているうちに書きたくなってくるのだが。そうやって身の回りのことを考えるのに慣れてくると、あらゆる物事に対してまじめに反応することが多くなってくるんですよね。今までは、”どうでもよくね?”と思っていたのが、これはつまりこういうことで、ならばこうなのか? みたいな。 今までは適当に流していたことも、なんでこうなってんだ?と。
テレビや動画を見ていると、基本的に笑いを取るのは”バカ”な人だと思います。正解だけではおもしろくない。まじめだとおもしろくない。”おバカ”な人が人気なのもうなずけます。おもしろくあるにはバカである必要があるのでしょうか。僕にはわかりませんが、少なくとも言えるのはまじめなことを考えていると”おバカ”なことが思い浮かばないんですよね。
千葉雅也という哲学者がいるそうですが、曰く
「深く勉強することは、ノリが悪くなること」と指摘している。<中略> 職場、家庭、地元といったさまざまな環境の「コード」があるが、私たちは環境の「コード」のノリに合わせて生きている。<中略> 「ノリ」から自由になるには「アイロニー」=「ツッコミ」と「ユーモア」=「ボケ」という二つのスキルが必要だと述べている。 みんな政治でバカになる p205
詳しい内容は省きますが、超意訳すると、確かに勉強するとノリは悪くなる、だからといっておもしろくなくなるわけではない。おもしろさとはある「コード」からの逸脱により起こるので、そのコードと逸脱を把握できれば、「来たるべきバカ」となれるし、それを目指すのも一興だと。んなるほど、そういうことか。来るべきバカねえ。