人生で初めて裁判所の傍聴に行ってきました。ドキワクです。ドキドキします。
というわけで久しぶり東京は霞が関にやってきました。官庁が所狭しと並んでいます。世の中を回している中枢に赴くというのは、なかなか背筋がピシャッとなりますね。猫背では歩けない感じ。周り見渡しても背筋の良い人があふれている。そしてなぜか歩くスピードが早い。世の中を回すのそれほど大変な仕事なのだとわかる(いや、わからない)。正義感の強い人が多い(気がする)。もしくは、慢性的な残業続きで、得てして顔が正義感漂う感じになっているのかもしれない。詳細はわからない。グーグルに聞いてもわからない。
まさに朝の通勤ラッシュとぶつかる。普通に満員電車。北千住から満員電車。この人たちはリモートできない勢なのか。それともただ職場の窓辺に座っていたい勢なのか。詳細はわからない。なぜか50代から60代の方が多い(気がする)。これほどまでに満員電車に乗ってまで職場に行くのはなかなか苦行だ。僕だったら一日でバテてしまう。ただし、こんなことを僕が言えるのは、僕がわざわざ満員電車に乗らなくても良い生活ができるからだと思う。おそらく世の中には、満員電車に乗らざるを得ない人がいる。満員電車にわざわざ乗って働きに出ないと仕事がない勢だからであろう。もちろんそれを好き好んでやっていればそれでいいとは思う。電車好きには、どれほど電車が混んでいても、電車に乗れるというだけで幸せな人もいるのかもしれない。詳細はわからない。
そもそもなぜ裁判所へ傍聴に行ったのだと疑問を持つ人もいるかもしれません。それは純粋に、裁判を一度リアルで見てみたかったからだと。なるほど、そうですね。人生に一度は見てみたいとは思います(思いません)。なかなか裁判を傍聴してみたいと思う人はいないとおもいます(多分)。僕も実際これまでの人生で裁判傍聴欲足るものは抱いたことはありません。ほんとうにありません。しかし、どのような風の吹き回しか知りませんが、今回は行こうと決心したのです。なぜでしょうか。僕にもわかりません。すいません、わかります。現在法律をがむしゃらに勉強している手前、それが実際に現場でどのように使われているのか興味があったからです。教科書とにらめっこしているだけでは、実務に関してはなかなかわかりません。ましてや裁判所という、あきらかに厳かな場所で何が行われているなんて、はたからみればブラックボックスといっても過言ではありません。実際には裁判所は予約なしで誰でも入れますし(手荷物検査はある)、裁判はいつでも自由に傍聴できます。好きな時間に、興味のある事件を選んでその法廷に向かいます。
裁判所に行ったことある人はわかるかもしれませんが、東京の裁判所、めっちゃ広いです。法廷の数が少なくとも50部屋以上あるのではないかと思います。あのよくテレビで見るような、あの法廷が50部屋以上あると思います。裁判所の外観からして威厳ある佇まいです。「ここでは法律をきっちり守るで!!」といった威厳がひしひしと伝わってきます。裁判所の中では、ちゃんとルールを守った行動をしなければ、すぐどこからか警備員が飛んできて僕を羽交い絞めにしそうな雰囲気でした。警備員が至る所にいます。この人たちは民間の警備会社だとは思いますが、日給いくらくらいなのでしょうか。やたらとお年を召した方が多かったので、裁判所を定年退職した人たちの受け皿になっているのかなと一瞬頭によぎりましたが、たぶんそうではなさそうです。
裁判所で行われる裁判の中には傍聴希望者が殺到するくらいの人気な事案も存在します。有名人の裁判や、重要な案件の裁判などでは傍聴者が殺到する事態がしばしば起きます。そのため、傍聴者が殺到する可能性がある裁判は、抽選を行い、当選した者のみ、傍聴できるようなルールになっています。人気があるということは、傍聴する価値が高いともいえるかもしれません。裁判所初の僕はとりあえずその抽選がある裁判をめがけていきました。屋外で抽選します。事前に数字の書いてある紙が配られ、抽選場所に案内されます。そして時間になると、当選した番号がホワイトボードに張り出される仕組みとなっています。さながら受験の合否のようで少し緊張しました。ちなみに僕は人生で、何かの合否発表を現場で数字を確認するということをしたことありません。大学の合否確認もインターネットで行いました。その時はPCの画面を見つめながら、興奮冷めやらぬ感じでした。そのような事情により、僕は裁判所で初めて現場合否確認作業というものを行うことになりました。
普通に落選です。ドンマイです。ただし、ここであきらめてはいけません。茨城からわざわざ1時間弱かけて来たからには、この裁判所を知り尽くしてやる。そのような気概を持ち、一般ゲートから侵入を試みます。見事に通ることができました。空港の手荷物検査のような感じですね。このようにして、僕は第1関門を突破することに成功しました。次にやることは今日開かれる裁判のチェックです。入口付近に何やら人だかりができている場所があります。そこに行ってみると、人々がぞろぞろとそこに設置してあるディスプレイをタッチして何かを見ています。なるほど。ここで今日の開廷予定をチェックしているのだ。みなさんが何やらメモメモしています。なるほど、興味のある事件をチェックしているのだ。ふむふむ。僕もチェックすることにしよう。
まず今日は10時からXXX法廷でOOO事件があると、それと11時30分から△△△法廷で○○〇事件があると。なるほど、これで今日の予定をチェックするのか。僕も気になった事件をピックアップします。どれどれ、殺人未遂か、気になる。出入国管理法違反か、気になる。大麻取締法違反、気になる。賭博開帳図利幇助、気になる。何やら教科書に出てきた単語が並んでいます。僕は思わず、すごいと言いかけてしまいました。僕が教科書で学んでいたものは、机上の空論ではなく、完全に地に足の着いたものであると。それは数式のように現実に目に見えないものではなくて、ありありと現実に存在する概念であることを実際に肌で感じました。これが法律というものか。大学でも目で見えないものをひたすら扱っていたので、現実と乖離している感が否めませんでしたが、法律は現実と地続きになっているのだと改めて思った次第です。
実際にいくつかピックアップして、その場所に向かいます。法廷の中に入ってみると、そこはまさしく「ザ・法廷」という感じ。傍聴席があり、証言台があり、検察官がおり、被告人がおり、弁護人がおり、裁判官がいる。妙にしんとした空気が流れています。そして検察官、弁護人ともに、普通に20代後半か30代前後かと思われる方々。みなさん頭のよさそうな感じです。そして時間になると裁判官が入ってきます。その際に、起立礼を行います。そこで行われる起立礼は、わりと自由な感じで、誰かが掛け声をかけるわけではなく、各自それぞれ礼をしています。魂を込めた礼をしている方もいれば、相槌程度の礼をしている方もいます。礼にもいろいろ多様性があっていいですね(?)
そして時間になると始まります。まず検察官が訴状らしきものを読み上げます。裁判は事前準備した資料をもとに進めるので、彼らの読み上げ方はわりと、形式的です。これは当たり前かもしれません。事前資料も何もない傍聴人からすれば、彼らの言葉によって理解するしかないのですが、彼らは手元の資料をもとにしゃべるので、言葉を周りに伝えるというよりも、ただ音読しているように聞こえます。そうするとこちらとしては、聞き取りづらい箇所もでてくるわけです。「もうちょいはっきりしゃべれや」と突っ込みたくなりましたが、仮にそのようなことをすれば、すぐさま警備員によってつまみ出されるのが落ちです。したがって、僕はさも聞こえている、理解できているようなふりをして傍聴人ぶっていました。
ふむふむ。この裁判の争点はこの点だな。ふむふむ。そうすると、ここの判断がどのようになされるかがポイントだな。ふむふむ。客観的証拠あり。斟酌の余地あるか。冒頭手続き、検察官の起訴状朗読。被告人質問。弁護人の弁論。判決。きわめて手続き的。具体的な紛争に際して、正しい方の適用を保障する作用を担保するには、例外なく、手続きに従うことが鉄則のような感じです。たとえどんな裁判でも、手続きの則って進めることがきわめて重要である。そんな印象を持ちました。
いくつか傍聴していると、ちょっとした違いも見えてきました。まず、裁判官の進め方によって、同じような事件でも少し違って見えるということです。前提として、裁判の手続きは厳格に守らなければなりませんが、それ以外の進め方。例えば裁判官と検察官、弁護人、被告人との間のコミュニケーションの取り方など、ていねいに進める裁判官もいれば、わりとザクっと進める人もいます。法廷内では、一応帽子は取る感じらしんですが、僕の被っていた帽子を取るように注意した裁判官は一人だけでした。その他の裁判官は、特に注意せずに進めていました(僕が完全に帽子を取り忘れていただけ)。あと少し細かいですが、法廷によって、検察官や、弁護人の座る椅子がちょっと違います。リッチなやつもあれば、ちょっとふっくらしたやつもあります。そのような微妙な違いは一体どこから来てるんだ。単純に予算不足かもしれません。
そのような感じで、ずるずると気になった裁判を傍聴していたら、結局一日裁判所に滞在してました。当初は半日程度の予定でしたが、芋づる方式で抜け出せなくなっていました。たった一日の傍聴でしたが、とても学びは多かったです。検察官というやつはなにかと態度がでかいことが少し気になりましたが、どのような人であれ、裁判を受ける権利はあるし、弁護人を依頼する権利はある。
今回は東京地方裁判所の刑事事件をメインに傍聴しました。初犯で、わりと軽い事件の場合は、当日中に判決が言い渡されることも多いそうです。今回傍聴したかぎりでは、「懲役1年、執行猶予3年」の言い渡しが多く見受けられました。執行猶予とは、その期間犯罪せずに過ごせたら、刑は免除されるという制度です。しかし、初犯とはいえ、実刑判決が下されるのはなかなか重いように感じました。「執行猶予つけたるからええやろ」って感じがしました。そして何より検察官の押しが強い。被告人を絶対に有罪にしたる気概が強い。もちろんそれだけ被告人の行為は責められるべき行為であることは確かだとは思いますし、有罪の確信をもって検察官は起訴をするわけなので、そのようになることはしょうがないとは思います。ただし、なんかひっかかりがなくはない。
検察官たちは被告人を有罪にする職業だと思います。本当に文字通りあらゆる手を使ってくるということです。もちろんそのような役割は不可欠な存在ですが、自己の良心に従っているというよりかは、検察という職業の与えられた役割(被告人を有罪にする)を全うしているという感じを受けます。無罪請負人の弘中弁護士も検察はストーリーを作ってからそれにあう証拠を集める。不利な証拠は提出しない。と言っていましたが、なんとなくその意味が分かった気がします。これからまた機会があれば伺おうと思います。
そういえば、よく裁判ドラマで見るアレ。裁判官が木槌で叩くやつ。あれは日本はやってないですね。てかそもそも、なんで木槌で叩くんや。静粛にさせるやつ。ド、ドン、被告人は、
お手を拝借。ごっつぁんでした。