ついに2023年がやってきます。21世紀も丸々22年が過ぎました。2000年生まれの人も、今年23歳になります。
今年はどんな一年になるのでしょうか。まだ始まって一日しか経っていないので、僕にはまだまったくわかりません。
一応毎年目標を掲げています。昨年は「自分の頭で考える」でした。我ながら、なんとも生真面目な目標ですね。振り返ってみると、昨年は確かに自分の頭で考えてた気もします。しかしそれは環境がそうさせたのであって、自ら志願して考えようとしたのではありません。
今年はどんな目標にしましょうか。一応今年で生誕30周年を迎えます。20代卒業します。10代から20代はうれしかったですが、20代から30代は、なんともいえない感じです。うれしいとはいえないし、かなしいともいえない。歳をとることは悪いことではない。30代になることは、若いというフェーズから一歩踏み出すことを意味します。30代を迎えるにあたって、僕はどのような準備をすればいいのでしょう。髭を生やしておけばいいのか。細かいことは気にしないようにすればいいのか。あらゆる物事に動じずに、どっしり構えるべきなのか。
20代は「若い」というフレーズにたくさん助けられてきました。まだ「若い」から大丈夫。まだ「若い」から問題ない。「若い」と気分が明るくなる。「若い」と怒られない。
今までは「若さ」という生来の武器を使い、なんとか歩んできました。僕から「若さ」を引けば、一体そこには何が残るんだろう。僕はただの「若くないやつ」になっていきます。
もちろん、だれだって歳をとります。ハリーポッターの主役3人もすでに30代です。
「ウィンガーディアム・レビオーサ!」
魔法使えるってかっこいいと思います。何がかっこいいのかといえば、それが、きちんとした手順を踏んでいるからです。杖を用意して、呪文を唱える。一方で、マグル界でも、魔法じみたものはあります。正直、はたから見れば、スマホは魔法の機械でしょう。指先一つで、電話できる。動画みれる。メール打てる。そんなスマホがなぜ魔法のようなかっこよさを持ち合わせていないのかといえば、それが、ただのスマホだからです。スマホは誰でも自由に操作できますし、操作に何の不便もありません(僕にとって)。
スマホの機能はもはや魔法レベルです。しかしスマホは魔法とは思いません。ただのツールです。それは、機能が完全にブラックボックス化しているからだと思います。僕たちは、何を念じなくても、電話できますし、メールも打てます。快適です。快適の中には、かっこよさは生じにくいです。
糸電話を使って会話することは不便です。しかし、なんかおもしろくないですか。遠くにいるのに、声が聞こえる。公園の遊具でも似たようなもの、ありますよね。また、黒電話で、番号を一つ一つダイヤルして、電話をかけることは、不便ですが、ちょっとした感動をおぼえませんか。
機能が手足の延長線にある段階では、ちょっとした魔法感を味わえるとおもいます。一方、スマホは完全に機能が人間からアウトソーシングされているので、僕たちはそれを使用することしかできません。そういうわけで、僕はあまりスマホを使いたくありません。だったら、僕はポケベルあたりを持ち歩くほうがマシだと思っています。もちろん、ポケベルは不便極まりないものですが、それほど気になりません。
じゃあポケベル使ってみろやと言われそうです。確かにその通り、僕はスマホを使っていますし、これからも、おそらく、使い続けると思います。口だけやんけ。おっしゃる通り。でも、気持ちはそう思っています。
というわけで、またよくわからない話をしています。今年の目標を考えなきゃいけません。考えました。30代になるという明らかに大人に一歩近づく年において、必要なことは、いかに大人に近づかないかということかもしれません。30代になる今年こそ、改めて、『あそびの心』を大切にしていきたいものです。
年齢を重ねるといやでも知恵と経験はたまるので、どんどん落ち着くところに落ち着いていくます。それはそれで、ダンブルドアのような風格もった大人になるということだとは思います。しかし、一方で、僕は僕は風格をもった大人にはなりたくありません。決まった日課を過ごすことが、大人への近道かもしれませんし、それによって、能力も発揮できるかもしれません。いずれ、そのような時期がやってきます。
しかし、僕はまだ、それに抗っていきます。世の中がウェルビーング向上のための消費に精を出すなか、僕は、そんなものには目もくれず、ワクワクすることを探していきたいとおもいます。世の中との『あそび』を保ちつつ、ワクワクするような『あそび』を探していきたいです。うまいこと言ってそうで、言えてないですね。どうか、ご了承ください。
2023年もどうぞよろしくお願いします。