―ねえねえおじさん。
なに。
―おじさんは何のために働いているの?
生きるため。
―え、じゃあ働かなきゃ死ぬの?
死にはしないと思うけど、まあギリ生きていけるかもなあ。
―僕も働かないとだめ?
子供は働かなくてもいいんじゃない。学校あるし。
―じゃあ、学校卒業したら、働かなきゃいけない?
まあな、実際お金がないと生活できないしね。
―そしたら、ぼく、いまから、貯金したほうがいいの?
使い道がないんだったら貯金しといてもいいんじゃない。けど、まだ、べつに、貯金しようなんて考えなくてもいいと思うよ。
―なんで?
だって、学校で忙しいでしょ?
―そんな忙しくない。むしろひま。
じゃあ、貯金してみる?
―してみたい!
したら、今度豚さん貯金箱買いに行こう!
―豚はいやだ。
じゃあなんでもいいや、とりあえず何か貯金箱を買いに行こう!
―やったー!うれしい!
よかったやん。
―それとおじさんにもう一つ聞きたいんだけど。
なに。
―おじさんは何のために生きているの?
え?なに?
―だから、おじさんは何のために生きているのかって聞いているんだよ。
何のため?急に難しい質問してくるやん。
―はやく教えて。
何のために?よくわからんなあ。
―なんで?
いや、そんな人生について深く考えてきてないからな。というか、なんのために、といわれたら、普通に、俺のために生きているとしか言えない。
―よくわからない。
そっちはどうなのさ。
―僕は遊ぶために生きている。
なるほど。たしかに。そうすると、俺は、おもしろい匂いをひたすら嗅ぐために生きているのかもしれない。
―どういうこと。
うーん、説明が難しいけど、たとえば、学校の試験問題とかで、問題をちゃんと解けたときってなんだかうれしくない?
―うーん。そうかな。あんまりわからない。
んー、なんか、授業とかでおもしろいとおもったことないの?
―特にない。
たしかに、授業はつまらんしな。ーたとえば、数学の授業で、新しい公式を覚えて、その公式を使って問題を解けたときってうれしいくない?
―すげーってなるかもしれない。わからん。
ごめん、たとえが悪かった。たとえば宇宙とかロケットってなんかわくわくするでしょ?
―わくわくする!
そう、そのわくわくをひたすら探しているって感じ。
―うーん、よくわからない。
まあいいよ、そんなもんにしといて。ところで、俺ちょっと話したいんだけど、いい?
―なに?
この前国立ハンセン病資料館に行ってきたんすよ。
―なにそれ?
ハンセン病って知ってる?
―知らない。
言葉で説明するのがむずいんですけど、ざっくりいうと、らい菌という菌に感染することによって、おこる病気。
―らい菌。
日本では、ほぼこの病気はなくなったものの、毎年、世界では約20万人がハンセン病にかかっているといわれている。
―結構おおいね。
ハンセン病にかかると、知覚麻痺や、運動麻痺等の症状が現れる。結果として、身体の一部が変形してしまうことがある。指が自由に動けなくなったり、足を切断するはめになったりする。
―やばいやつじゃん。
昔は薬もなかったし、庶民からすればこの病気は恐怖でしかない。かかりたくない。かかったら最後、隔離施設に送られる。
―隔離されるんだ。
治療のために、隔離されるんですよね。ただし、この隔離が結構やばいってはなしですね。
―やばいんだ。
一応治療のため、とはいえ、薬もない時代、ただ、隔離され、死ぬまで、隔離。死んでも隔離。
―隔離されまくり。
ハンセン病は感染症だから、周りにうつさないためにも、まず隔離は確かに大事ではありそう。
―うん。
ただ、ひたすら隔離される。療養所という名の、閉じ込めてきな。ハンセン病のやつ、あっちいけ!って感じ。
―あっち行けって感じ。
患者たちは、超過酷な療養所生活で、死んでいく人が何人もいた。でも、あきらめない人もいた。生きる希望をこじ開けていく。
―すご。
ある人たちは、音楽に生きる希望を見出す。ただし、彼らの指はほとんど使い物にならないので、ハーモニカを使って、音を奏でることを思いつく。これが生きがいだと。
―ハーモニカね。
ある人たちは、陶器づくりに生きる希望を見出す。何回も、焼きに失敗したり、絵付けに失敗したり、でも、めげずに挑戦していく。すごい。
―気合すご。
僕が一番印象に残っている言葉は、「ようやく生きる希望が見つかりました」。ハンセン病にかかってもなお、生きる希望を探し求める精神というかさ。
―僕はあきらめちゃうかもな。
俺はそこで思ったのはさ、やっぱり人間にとって「生きる希望とか意味」ってのは、それなしで生きるのは、相当つらいというか。それがないと人間って生きていられないんだよなと沁みたね。特に大変なときこそ。
―わかりやすくいって。
だから、さっき何のために働いているの?とか、何のために生きているの?とか聞いてきたじゃん。そういう類の質問がなんで出てくるかといえば、それを問わずに人間は生きていけないからっすよね。だって気になるじゃん。自分は何のために生きているのかって。
―気になる。
みんな問わずにはいられないし。でも問うことで、やっぱり生きる希望が持てたりする。でも、そう簡単に自分にとっての生きる希望は見つけられない。というか、わからない。
―わからないね。
例えば、何のために仕事をやっているのか?って考えたりするけど、それが何のためかわからない人は結構多いっすよね。たぶん。だから生きる希望は人間にとって超大事だけど、逆に超大事であるがゆえに、なかなか見つからないんだとおもう。
―超大事ね。
やっぱり、生きる希望ってのは、定常状態では、なかなか見つからない。そもそも問う必要がない。非定常状態になって、初めて、生きる希望という意思が現れてくるんだよな。
―どういうこと?
うーん、たとえば、今幸せだったら、生きる意味なんて問わないでしょ。なんで生きる意味を問うかといえば、今、幸せじゃないと思っているからでしょ。今に、何か不満があるから、希望を持ちたいと思っているわけでしょ。
―いま、不満はある。
みんな不満あるし、何より、不安だよね。なんなら常に不安の人も多いんじゃないか。そういう人こそ、生きる希望が必要になってくる。でも、なかなか見つからない。
―うん。
日本人は遺伝子レベルでネガティブらしいから、みんな不安だから、みんな生きる希望探しがちはなる(笑)。どうする?
―まあ、とりあえず、貯金しよ!
よし!豚さん貯金箱買いに行こう!
―豚はいや。