秋の夜長には、天体観測なんていかがでしょうか。今の季節、夜は少しひんやりしますが、そのひんやり感も含めて、外に出て、「さむいさむい」と言いながら、ファミチキとファミチキバンズでファミチキバーガーを食べながら、夜空を見えあげてみると、そこには真っ暗な空が広がります。その空の中に肌荒れニキビさんのようなぽつぽつした点があちらこちらにあります。それがいわゆる☆ってやつです。
今週は442年ぶりの皆既月食がありました。これを逃せばもう一生見ることはできません。と夕方のニュースで言っていました。確かにきれいな感じでしたが、そんなに感動しませんでした。僕は天体には興味ありますけど、星に興味がない人なのかもしれません。OO年ぶりの天体ショーと発破かけられようと、びくともしません。400年ぶりと言われても、イマイチピンときません。400年生きられない人間からしたらぴんと来ないことはあたりまえだと思ってます。毎月のようにOO年ぶりの天体ショーがある気がしているのは自分だけでしょうか。次回は300年後のようですが、そのタイムスケールを生きることが不可能な人間にとって、その情報にいったい何の意味があるんだとツッコミをいれたくもなります。もちろん、そんな正論を言ってはいけません。ロマンがぶっ潰れでしょう。
「△△年ぶりの□□流星群です!」
「◇◇年ぶりの▼▼です!」
たかが☆、されど☆。☆のおかげで、僕は生きているのかもしれません。どうもおかげさまです。☆の働きぶりには感謝感激しております。日々星に感謝をささげている人は世界中に何人いるのでしょうか。星をただインスタ映えの要素としてしか扱わない人は世界中に何人いるのでしょうか。そのもの達を代表して、星に問う。
「あなたたちはいつも煌々と輝いていますけど、それが僕たちと一体何の関係があるんでしょうか?」
「あなたたちは星同士を勝手につないで、星座と呼ばれるものを作った。あれってなんの意味があるんですか。それってただの感想ですよね。」
星の長老は答える。
「わしたちはいつなんどきも、常に光を出し続けている。それはわざと光を放っているのではなくて、どちらかといえば呼吸に近く、自然現象なんじゃ。」
「わしらは星座というものを存じ上げぬが、そういうものがあってもよいのではないか。たまには空を見上げよ。」
話変わって、最近TVerの偉大さに気付き始めました。今までは、テレビ自体おもしろくないと思っていましたし、TVerの意義すらあまりよくわかりませんでした。ですが、今年夏くらいからドラマの見逃し配信を見るためにTVerを利用始めてみました。「初恋の悪魔」をいつも見逃すので、自分のタイミングでパソコンで見れるのはなかなか便利です。そして何より、意外とおもしろいコンテンツがあるなということです。最近は「ジャパニーズスタイル」と「クレイジージャーニー」の見逃し配信を見ていますが、その他にも「エルピス」とかおもしろそうです(まだ見てない)。
同じテレビ番組のはずが、パソコンで見るとなぜか普通におもしろく感じます。テレビで見るとつまらないというわけではありませんが、パソコンの方がストレスなく見れるので、その分快適ではあります。
これはどういうことかと考えてみると、僕の持つ「テレビはつまらない」という偏見は、テレビという存在がつくり上げているのではないかとも思ってきました。要するに、テレビという物理的な存在ということです。「テレビはダサい」という偏見は、テレビという機器をお茶の間で、なおかつみんなで見るというある種のダサい構造が「テレビはダサい」という偏見を生み出しているのでないかということです。
言い換えると、たとえば同一テレビ番組をお茶の間でテレビを通してみる場合と、パソコンやスマホ等で見る場合には、おもしろさは違ってくるだろうということです。すなわち、コンテンツの質は主に送り手側が握っているものの、受け取り手としても、どのハードでコンテンツを消費するかで、コンテンツの質感が変わってくるだろうということです。映画を映画館で見るか、DVDで見るかの質感の違いに似ている気がします。
Youtubeはいろんな動画がありますが、おもしろい動画も多いです。すべての動画にコントロールバーが付いていて、再生、一時停止、画質、再生速度、すべて自分で決めることができます。自分の好きなところを何回でも再生できるのはが魅力です。そしてTVerの場合、テレビ番組をTVerで見ると、必ずコントロールバーがあります。再生、一時停止、10秒巻き戻し、早送り、できます。たまにCM挟みますが、テレビほどうざくはありません。このような、自分でコンテンツを操作できるという点がよりおもしろさを引き立ているのだろうなと思います。
Youtubeでは、動画の巻き戻しに何のためらいもありませんが、TVerのようなテレビ番組を巻き戻すには少しためらいが生まれます(僕だけかもしれない)。今まで巻き戻しも、早送りも、一時停止もできなかったコンテンツが、そのすべてをできるようになるのは、塩少々程度の罪悪感さえ抱きます。
映画のような重厚感あふれるものに関しては、アンコントローラブルな方がいいかもしれませんが、日常にスパイスを入れる程度のものに関しては、コントローラブルな方が、いいかもしれません。
それっぽいこと言っていますが、おそらく同じようなことを過去にも言ったような記憶はあります。変わったようで変わっていない。変わろうとしても、変わらない感じが歯がゆい感じです。そんなことを考えているうちに、変わることとはいったいなんなのかわからなくなってきました。常に迷いながら選び続けることが変わることなのか。優柔不断であることが変わることなのか。大人といえば変化に動じず、どっしり構える。芯を持つイメージですが、芯を持つことと、変わることは相反することなのか、両立しえることなのか、わからなくなってきました。とりあえずこれからも進んで迷います。
ありがとうございます。