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お題目 CITY これから都市のあり方
🔭<インクルーシヴの視点で都市を再構築せよ>
馬場正尊氏×ジュリア・カセム氏の対談
自身が緑内障を患っている馬場氏とインクルーシヴデザインの国際的権威であるジュリア・カセム氏との対談。インクルーシヴと似たものにユニバーサルというものがあるが、その二つは異なる概念であると。ユニバーサルは文字通り”全ての人へ“という意味、インクルーシヴはそこの周りにいる人達を包み込む、という意味らしい(おそらく)。一時ユニバーサルという言葉が流行った気もするが、ユニバーサルと聞くと、ユニバーサルデザインという言葉を思い起こす。最近は聞かなくなった気がする。自分に聞こえていないだけかもしれないが。一方でインクルーシヴという言葉は最近耳にする。インクルージョン、インクルーシヴ、のような言葉。包摂性とも言うのだろうか。ジュリア氏曰く、ユニバーサルという概念は良いものであるが、ただ非現実的であると。やはり全ての人のため、という全人類的ともとれる強烈な平等主義だけではうまいこといかない。まず自分達の住んでいる地域の人々をインクルーシヴすること。灯台に登って遠くを見るよりも、まず足元をよく見ることから始めよう、というわけだ。
馬場氏は緑内障を患って、初めて目が見えないことの苦難に気付いたという。僕たちは目が見えることをあたりまえだと思っている。あらゆるものは目が見える前提で設計されている。目が見えなくなったときに、僕たちは1人では何もできなくなる。どこかへ行くことも、買い物に行くことも。
ジュリア氏はイギリス出身で2014年から京都の大学で教鞭をとっている。日本語でのコミュニケーションは全く問題ないが、読み書きはあまり得意ではないそう。コロナワクチンの案内が届いとき、何が書いてあるのか、どのようにしたらいいのか、全くわからなかった、という。確かに、日本でのあらゆる行政の手続きはほぼすべて日本語だ。日本語を話せなければ、日本で暮らしていくことは困難を極める。
彼女は続けて、日本はポリシーを作っている人が貧困だ、という。ポリシーを策定するのはもちろん日本人であり、肌が薄だいだい色で、日本語が話せて、目が見えて、足が動かせて、耳が聞こえる人たちがポリシーを策定している。ポリシーを策定する側に緑内障の方や、イギリス出身の白人の方は見たことがない。さいわい、人間は想像力をはたらかせて、マイノリティの人たちに耳を傾けようと努力することはできる。ただ実際に耳を傾けることで理解できるものと、当事者になって初めて理解できるものもある。耳を傾けることも大事ではあるが、耳を傾けるくらいならその人たちをインクルージョンした方がより良さそうな気もしている。
ただ一方で、世の中にはマイノリティのほかにマジョリティという存在がいる。マイノリティに耳を傾けすぎて、マジョリティに耳を傾けなければ、またそれはそれで一悶着起きる。
どちらかを大事にするというよりも、どちらも-マイノリティもマジョリティも-包摂する設計が肝要である。超高層と低層をつなぎ、いかに解像度を上げるか。デザインで人は容易に変わる。ある本によると、デザインすることは誰かのために何かを改善することだ、という。あなたの身近な人たちが何か困っていることはないだろうか。彼らのために何か改善できることはないだろうか。肩たたき券をあげる。そんなことからでもいいだろう。デザインする、つまるところデザインとはそういうものだろう。デザイナー、実は僕たちだってなろうと思えばすぐなれる、そんな気がした。
📚<デザインはどのように世界をつくるのか> スコットバークン著
P203
見方を変える
―あなたの世界を改善するためのデザイン・チェックリスト―
① 何を改善しようとしているのか?
② 誰のために改善しようとしているのか?
③ どうやって成功を実現するのか?
④ 現在または将来、あなたのデザインによって害をこうむるかもしれない人は?