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とりあえず肉から考えてみます。
※BGMです。
いやー最近さ。ちょっと肉見るとうっ、となってしまうんです(笑)
―どういうこと?
なんか肉見るとグロいなーと思ってしまうようになって、でもいざ食べるのは全然うまいんだよ。少し肉に対して躊躇している自分がいて、ワンクッション距離を取る、感じ。
もちろん肉はうまいし、元気出るし、焼き肉とかさいこうなんだけど。自分達ってマジで肉に関して”肉”しか知らないじゃん。つまり、肉といえば、スーパーに売っている切り身のことを言っていて。切り身のことを肉と呼ぶ。それはそうなんだけど。全然自分とかは肉がどこから来てどこで切り身になっているか、とか知らないし。OO産とかは記載されているけど、具体的にどこからどんな工程を経て来ているか、てわからなくない?
―まあそうですね。
肉は肉だから、以上って感じ。とりあえず肉はうまいから。どのような工程を経てきたのかわからないのにその切り身を絶対的に信じていることが、ちょっときもくねえか、って思ってしまって。
―きもいかな?うまいからいいでしょ。
いや、うまいのは確かなんだけど、この肉一強の世界に若干違和感を覚えてしまっているんですよ。この前ドクターXで、
-気晴らしに焼き肉いきましょうよ
-焼き肉うめえなー
のようなシーンやってたんだけど。その肉に対する絶対的安心感と、出自のわからない肉をイベントのときに食べることが良いことであり、みんな好きであるって感じ。社会的に要求されている、みたいな。確かに大事な場面で肉を食べることはなんだか精はつきそうではあるけど、ただそれって肉でなければダメなんだっけ?
このまえ<チョコレートの真実
>って本読んで衝撃受けたんだけど、チョコレートどこから来ているか知っている?
―アフリカとか?
そう、まあ西アフリカ、南米辺りで栽培されているんだけど、その現地でチョコレート、カカオの実を収穫しているのは大抵現地の少年で、その労働環境は劣悪で、もはや奴隷に近い扱いを受けている。彼ら少年はカカオがどのように食べられているか知らないしチョコレートというものも知らない。一方私たちもカカオがどこからきているか知らない。けど、チョコレートはみんな食べる。おいしいから。おやつにちょうどいいから。
―へー。
ネトフリにもチョコレートのドキュメンタリーあって、それもすげえ良かった。でまあ、べつにそのことを知らないからどうとか、知るべきということは全く言うつもりはないんだけど、そのあるものに関してほとんど何も知らないのに、平然と何も考えずに食べていることにちょっと気持ち悪さを感じてしまって。自分に対してね。
一方野菜のことはみんな気にすることない?どこから来ているかとか。無農薬とか。生産者の顔とか。野菜に関しては特に、安心安全とかは結構気にしていそうじゃない?
でももう肉とか、チョコレートとかって工業製品みたいにさ、それがどのようにしてやってくるのかなんて、考えもしないし、てか肉の加工に関しては見るに堪えらないという意見もあるからかもだけどね。ただ処理を見るに堪えないのに、売られている切り身は平然と食べることって一体どういうことやねんって。
ー言われてみればそうですね(笑)。
(来週に続く)
📒<
イドコロをつくる
> 伊藤洋志著
イドコロは一つより二つの方がいい。なんとなくそれはわかる。ただそれはリスクヘッジという意味でも信頼を分散させるという意味でもなく、単純にその方が生きやすいから、と思っていた。
2008年頃からツイッターやFBが現れ、そういったいわゆるソーシャルネットワークサービス(SNS)は人々に新たなイドコロ生み出すと思われた。ただ2021年も終わる現在でも自分はSNSにイドコロがあると考えれない。別にツイッターやFBが居心地の良いものでもなく、安らぎなんてものはほぼない。ネットの空間、以上。
結局のところSNSやアプリって「一種のイドコロアプリ」といった様相を呈していると思うんですよね。イドコロ提供して広告等で収益得る感じ。ただ実際に人々の感触としてはそのようなものはイドコロとは感じない場合が多い。つまり何が言いたいかというと、イドコロをつくることってめっちゃ難しいんですよね。いかにアプリが進歩して超居心地のよいデジタル空間を作ったところで、みんながそれをイドコロとして感じるかはとても難しい問題で。そう考えるとシステムでイドコロをつくることは限界がありそうな気もします。
イドコロの不足によって正気を失いやすい場面が増加している。
安心して話せる場があること、心が落ち着く場所があること。自分自身が居心地のよい空間またはそういった環境をつくりだすこと。それをこの本では「イドコロをつくる」と表現している。またはこのようにも言っている、
人が一緒にいられる「淀み」をつくる。
本の中で著者はそういったイドコロの型として大きく二つあり「自然系イドコロ」と「獲得系イドコロ」がある。「自然系イドコロ」はもじどおり自然にできるイドコロであり、<家族、親しい友人、仕事仲間など>と過ごす場である。一方「獲得系イドコロ」は
強い趣味の集まり
公共空間の気に入った場所
日頃通える小さなお店
有志でつくるオープンな空間
文明から離れて一人になれる空間
のような空間である。異なる意見を持つ人が集まる社会の中で、こういった場は信頼感をつくる場にもなり、正気を保つ場にもなる。他人と関わることは楽しいことばかりではないが、他人と関わることで物事がより楽しくなる、ということも実感として頷ける。ただ自分にとってどの程度他人と関わることが居心地良いのかは人によって異なるので、イドコロづくりのバランスは、-言われたことをそのままやるのではなく- 自分の頭で考えた方が良さそうだ。
Minusは100回しか投稿できないSNS。100回という制限によってコンテンツの質を高めることを目指している。Thursdayは毎週木曜日のみに起動するマッチングアプリ。マッチングアプリの疲労を軽減するためだという。こういう発想おもしろいですね。そもそもSNSは<いつでも><どこでも>つながれることをアピールしていたはずだが、もはや<いつでも><どこでも>つながれたところで、とくにいいこともないことに気付いてきたのかもしれないですね。こうなってくるとSNSはデジタル空間のサービスを充実させるよりか、現実空間をエンパワーする方向がいいのかもしれません。
<あとがき>
一昨日夕方のニュースで前澤氏を乗せた宇宙船打ち上げ中継していました。マジかと思い少し笑ってしまった。7月にジェフベゾスが宇宙に行った際に「ジェフベゾス地球に帰ってこないで」運動がおき、嘆願書には約20万人もの署名がなされたそうです。前澤氏はどうなんだろうかと少し様子を伺っていますが、ツイッターに#前澤友作の大気圏再突入に反対しますはありました。ただ今のところそんな数もないので大きいトレンドにはならなそうです。
基本的にお金を持っている人の傾向として宇宙に行きがちだと思うんですが、そこまで宇宙に惹かれるものがあるのか、と個人的には思ってしまいます。おそらくビジネスという面と未知なものへの飽くなき好奇心なのでしょうけど。宇宙に行ったら何があるのかと言われれば、もじどおり何もないと言えてしまいそうです。ただ、ものが溢れかえっている地球から見たときに<何もないこと>の価値は意外に大きいのかもしれません。周りに<何かものがある>ことはストレスにもなり得ます。そういう意味では<何もない>宇宙に行くことはストレス発散といいますか、意識が研ぎ澄まされそうな気もします。となると瞑想するようなときは、宇宙に行くこともいいかもしれませんね。ちょうど12月20日から宇宙飛行士エントリー開始みたいです。